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執筆者の写真葦澤智史

葦澤智史の大学生活 第2章


————3月2日、火曜日。


僕は、アルバイトを卒業した。


1人の大学生が、アルバイトを辞めた。

ただそれだけの話なのだが、未来の自分のために、そしていまを懸命に生きる誰かのために…、なんてことを思い、いまの気持ちをここに残すことにした。


📖1年生の春に始まった塾講師生活📖


葦澤智史の大学生活。第1章はアルバイト漬けの日々だった。

僕は小中学クラスの集団授業の講師として、大手学習塾に2年間勤めた。


塾講師という選択をしたことと、個別指導ではなく集団授業を選択したことには、自分なりの理由がある。



①言葉を使って伝える仕事がしたかった


高校3年生までの18年間、映像制作と関わりつづけた人生だった。


小学4年生でホームビデオの編集をはじめた。中学では生徒会に入って、校内初のテレビ放送を立ちあげた。高校では放送部でドキュメンタリー番組を制作し、全国大会に出場した。なんだか自慢っぽく聞こえるかもしれないが、映像の研究ぐらいしかやってこなかった18年間を、ちょっと良さげに言ってみただけ。


映像研究だけでは知ることのできない世界を知ってみたかった。


映像表現を通して「言葉」の大切さを学んだ。映像に添えるナレーション文が、どれだけの重要性を持つのかを知った。言葉の表現が少しでも拙いと、作品全体の質が落ちる。大学生活では、映像研究ではなくて「言葉でわかりやすく伝える」ことの研究から始めようと決めた。


②聞き手の感想が聞ける仕事がしたかった


映像系が好きな大学生は、だいたい決まってテレビ局の求人を探すのだが、自分は集団塾講師の求人を真っ先に探した。


それは、自分の発した言葉に対してリアクションが返ってくる仕事にしたかったから。


放送部で活動していた高校時代に気づいたことだが、映像制作をしていても、自分たちの作品を観た人からの感想がなかなか伝わってこない。マスメディアもおそらく同じだろうと思った。そこで、情報を一斉に発信し、なおかつ聞き手の表情がわかる集団授業講師は、自分に一番向いている仕事だと思った。「伝える」技術だったら勝てるという自信もあった。


③若い世代に伝えたい経験があった


高校3年で受けた北大受験。悲しくもボーダーにはたったの2点だけ届かず、予備校でもう1年を受験に費やすことになった。


しかし、そこで出会った予備校の先生たちが、僕を塾講師の道へと駆り立てた。

生徒の希望や目標を一身に背負い、自らの言葉と技術で生徒を導いていく姿に、表現者としての魅力を覚えた。


そして、僕はおせっかいな性格の持ち主で、

「これは実のある経験をした」と思った次の日には、

「この経験を独り占めするのはもったいないから、誰かと分かち合おう」と思う癖がある。


だから、一浪した経験を活かして、自分より若い世代のために貢献したいと考えた。


さらには、障害を持っている子や、自分と同じセクシュアリティの子がいたときに、自分の人生経験を活かして、子どもとちゃんと向きあえる先生になりたいと思った。

その点では、なにもできなかったという後悔ばかりが残る。



そうやっていざ講師を始めると、「言葉で伝えるってこんなに難しいのか」と思った。

最初の頃なんかは、生徒から聞こえよがしに

「葦澤先生の授業はつまんないから嫌だ!」なんて言われた日もあったっけ…。


それでも、「自分が発した言葉への感想が返ってくるなんて幸せじゃん!」と思うと、より一層燃えた。そして不思議なことに、素直に文句を言える子に限って、1年経つと結構仲良くなれたりするものだ。


📖塾講師をやって学んだこと📖


熱意の強さは顧客に伝わり

技術の高さは同業者に伝わる


これが、2年間塾講師として勤めて学んだこと。


1年目、技量も大してなかった僕は、熱意だけで突っ走った。

ところが、中3の、受験に燃える生徒ほど、自分が経験した受験の話に耳を傾けてくれる。

仕事に対して熱意をもつことの重要性を教えてもらった。

積極的に質問をしてくれる生徒たちに、全力で応える日々だった。


2年目、少し上手に授業が進められるようになってきた。

プロの先生には「説明もわかりやすいけど、黒板のレイアウトがうまいよね」と褒められるようになった。思いがけずデザインのスキルが実を結んだ瞬間だった。

プロは熱意だけではなく、技術の高さを見ている。個々人の技術力の裏には「向上心」という「熱意の片鱗」が見え隠れするからだ。


この経験から伝えたいことは、熱意で突っ走るのも悪くはないということ。

熱意があれば、耳を傾けてもらえる。 技術が身についてくる。 仲間が加わってくれる。

ふりかえれば自分は割とそういう生き方をしてきたなあとも思う。


「自分には技術が無いから」と思い悩んで足踏みすることもあるが、とりあえずあれこれ手広く行動してみることも大切なのかもしれない。まったく別の分野で培った経験が、思いがけないタイミングで活かされることだって、よくある。


📖アルバイトを卒業した理由📖


新型コロナが、僕の人生観を大きく変えた。


コロナ禍で最も力を入れた活動が、虹の集いだった。


映画上映イベントの運営を通して、自分がかつて熱中していたドキュメンタリー映画の世界に再び足を踏み入れた。マスメディアの記者さんから取材依頼が来るようになった。

そして、ふと思った。


「自分ももう一度、映像をつくりだす人間になりたい。」


バイト先の学習塾が休講に追い込まれたり、いつもなんとなく集まっていた大学の友達に会えなくなったり、一人であれこれと考える時間が長くなった。

いままで組織や集団に所属していたことで、あまり深く考えずに済んでいた「自分」という存在に、ぼんやりと意識が向くようになった。


言葉の表現を追求するという人生の段階が、僕のなかで確かに終わったのを感じた。


クリエイターとして生きる。そう決めたならば、身のまわりの環境を徹底的に変革する必要があった。塾の講師はアルバイトとはいえ、授業はプロと同じレベルを提供しなければならない。そのぶん授業準備も大変だ。

しかし、情熱と技術は、授業準備ではなく新しい仕事に注ぎ込む必要がある。春でアルバイトを辞める。そのかわり受験生を送り出すまでは授業に全力を注ぐと決めた。


こうして僕は自ら独立の道を選んだ。

それでも、いわゆる社会のレールのようなものへ戻れなくなってしまった「自分」には、本当に頭を抱える日々だった。もっといえば、いまだって苦しいままだ。


だが、2年間情熱を注ぎ続けてきたアルバイトよりも、

もっと強く実現したい目標があると思うと、身が引き締まる思いだ。



📷覚悟📷


そうして僕は、虹の集いでの活動に全力を注ぐことを決める。


「どうしてこれほどまで虹の集いに情熱を注いでいるのか?」

自分でもふと疑問に思う時があった。想像していたよりも、答えは単純だった。


どこからどう見ても「変」で、扱いようのないような僕を

受け入れてくれた、かけがえのない居場所だったから。


虹の集いやそれ以外の場でも、LGBTQのコミュニティにいると「すごく温かい」と感じる瞬間がある。互いの存在を受け容れあえる先輩や同期や後輩がいる。夢を語ると応援してくれる人がいる、興味をもってくれる人がいる。


ある時期、DMで「応援してます!」というメッセージを、何人かからたて続けにいただいた時期があった。僕に「どうせ無理だろう」などと言ってくる人は、この世界の、少なくとも身の周りには不思議なほどに見当たらない。


この歳になるまで、たくさんの「どうせ無理」や「お前は普通じゃない」のような言葉に出会ってきたからこそ、「頑張って」という言葉が身に染みてうれしかった。声をかけてくれた人たちも、もしかすると何かしらの困難にぶつかった経験は人より多いのかもしれない。だからこそ、何かを託されているような気がした。覚悟は、固まった。


この世界で生きていく、もうゲイであることを隠さないで生きていく。


この人生で、自分がゲイじゃなかったら経験できなかった世界線を生きてやろう。


それはゲイである自分を否定してきた過去との決別であり、いままで関わってきた仲間への感謝の気持ちでもあった。



📷一歩ずつ📷


————3月3日、水曜日。


この日から僕の、大学生活第2章が始まる。


職業クリエイターとして、個人事業主として、次の人生が始まる。

デザイナーや動画編集者というアイデンティティを背負い、自らのスキルを磨き、試す。

少しずつだが、もうすでに動き始めている。



「伝える」という活動を通して、叶えたい目標がある。


それは、LGBTQという不思議な縁でつながることができた仲間に、恩返しをすること。

そして仲間が生きやすい社会が生まれるよう、社会にメッセージを伝えるということ。


そして究極的な目標はこうだ。


この社会のすべての人から「生きづらい」をなくすこと。



やるべきことはたくさんある。まだ定まっていない方針もたくさんある。

こんなあやふやに生きている人間だから、バイト先の職員さんにまで、「そんなリスキーな辞め方して大丈夫なの…?」と心配をかけてしまった。


でもきっと大丈夫だ。いままで積み重ねてきた経験は、面白いことにすべて一本道でつながっていた。第1章での学びが、きっと第2章に活かされていく。

そして僕の人生は、生きているだけで充分にリスキーなところがある。だから、安定を求めるよりもリスクを楽しんだほうが勝ちなのかもしれない。


吹っ切れてしまうと人生意外と面白いものだ。



虹の集いの執行部員として、

そして一人のクリエイターとして、

僕は誰の力になれるのだろう。


「自分の色」とか、そんなのよくわからない。でも少しずつ、確かに色づき始めている。

いまこの文章を読んでくれているあなたがもしも、心のなかで叶えたいと思っている夢があるならぜひ、僕にその話を聞かせてほしい。自分に何ができるか、なにもできないかもしれないけど全力で考えさせてほしい。

そうやって、お互いの色を見つけ、認めあえる仲間にもっと出会いたい。


僕はみんなと一緒に、この第2章をはじめようと思う—————


文 葦澤智史(21・ゲイ) 虹の集い執行部

職業クリエイターとして、この春から活動を始めた北大生。超絶マイペースな自分が嫌になるが、社会のペースに合わせるのはもっと苦手。自他ともに認める一人っ子気質だが、本当は弟を愛でたい人生だった。

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